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2007年05月 アーカイブ

2007年05月03日

バッタ

070502_batta_m.jpg
~ 5/2 12:21 バッタのミニチュア@岩泉~

5/2旧暦3/16雨。
とぉの友達の人が、暇だがらって木をけでやったんだって、桐の木を。そしたらば、バッタって昔は雑穀をそれで加工っていうかひらげてヒエどもらの皮をむいで食ったのね。
そのミニのやつを作ってきてけだのを取りつけてあるのね。
うまい按配に作って、水が入るとパタン、パタンとなるんだけど、上がったどごも撮ろうと
思ってやったんだけど、うまくそこを合わせぇえなくて今日は無理でした。
水がいっぱいになると、頭の方って言うがが上さ上がってすごいかわいいんだけど。
(母ヨウコ談)

バッタは他の地方ではバッタリ(水臼)と呼ばれているものです。
「ひらげて」は、方言辞典として使ってる岩泉地方史にはのってないですね。
「開けて」と読み替えればいいかな?
(WebMaster@横浜)
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増水

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~ 4/27 12:48 増水中の大石沢@岩泉~

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大石沢の隠里辮財天(かくれざとべんざいてん)

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~ 5/2 11:22 とぉと水源@岩泉~

5/2旧暦3/16雨。
大石沢の目の神様、隠里辮財天の写真を撮ったどごを送ったんだけど、ちょっと雨のためか暗い感じだけど、まぁこういった感じなの。
(母ヨウコ談)

昨年の大石沢(おおいしざわ)の水祭りでは、サンショウウオの写真がピンボケだったので、今年こそはと思ってたのですがorz
大久保からは山を越えて隣の沢というご近所ですが、さすがに山越えはせず、車で移動です。
隠里辮財天神社の湧き水で目を洗ったり、飲んだりすれば目が良くなるという言い伝えがあるところです。
(WebMaster@横浜)
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2007年05月06日

袰綿山の薫陸香(ほろわたやまのくんろくこう)

070424_katakuri_m.jpg
~ 4/24 11:22 カタクリの花@岩泉(写真は本文とは関係ありません)~

「日本僻地の史的研究 下巻」

P195-196

文化十二年藩は侍浜村の野守久慈勇作に命じて琥珀の調査を命じた。久慈は、

「薫陸山 野田のづき山、つなぎの澤、ぬく澤山 瀧の澤山、熊の澤と申所ニも有之、前田山、岩間山 下岩泉山、さばめ山 いかつちと申所、袰綿山 通しの坂并穴澤山畑ヶ家の近き所ニも有之、片山、くろく山ト申處并ニ横道迄有之」

等を調査して、良質の琥珀を発見し、恩賞として現米三駄を加俸されている。

琥珀の軟質のものを薫陸香(くんろくこう)というらしいです。
岩手県内(岩泉町内)の地名についてあまり詳しくはないのですが、袰綿(ほろわた)、穴沢(あなざわ)と聞くと反射的に岩泉町の小川(こがわ)地区を思い出してしまいます。

久慈の琥珀は有名ですが、江戸時代、岩泉町内でも琥珀が掘られていたのでしょうか?
ご存知の方ご一報を(^^)

佐藤宇助のその後

橋野村に設置した三基の新熔高炉の差配役となった佐藤宇助は、小野組の岩砂鉄山総裁までのぼりつめたようですが、無常にも小野組は破産してしまいました。

小野家はこちらのサイトによれば、現代でいうところの債務超過の状態にありました。不良債権の内訳は旧幕府への上納ということで、いかに巨大な財力だったかが分かります。

明治7年(1874)は嘉永6年(1853)の三閉伊一揆から数えて21年目です。激動の時代を生きる佐藤宇助の胸に去来したものは何だったのでしょう?

「日本僻地の史的研究 下巻」

p348
橋野鉄山の方は藩営として経営していたが、維新になって南部藩の解消とともに経営を中絶していたが、明治2年(1869)小野組の井筒屋權右衛門が経営することとなり、
p350
小野組の井筒屋善助が南部藩の鉱山を一手に経営しようとして各地の鉱山の買収を申請している。
p352
この結果、翌7年2月までに井筒屋善助の経営した鉱山は、鉄山11、金山8で、その職員は前者が72人、後者が44人、外に本店に鉱山主任が1人、計117人を擁するにいたった。地方都市の支店としては巨大な規模である。その構成を見ると、

p353

一 岩砂鐵山總裁 野田村 佐藤宇助

p355

この年明治維新政府の指令によって為替方経営に対して担保の供出を指令されたが、所定の担保の供出ができず、破産宣告を受け、

p356

この年12月小野組は破産し、岩手における最大の豪商は営業を停止し、全資産を喪失し、岩手の近代化の第一の蹉跌となったのである。


※ 年号など一部漢数字を算用数字に置き換え

花芽つみ2007

070503_haname_m.jpg
~ 5/3 10:12 畑ワサビ@岩泉~

5/4、5は縁樹で忙しがったァ。
写真はTさんのワサビの花芽つみです。
他の人を車に乗せるがら、小松がら回って行ったった。浅不動だがらどっちがらも行げぇるがら。ワサビの花芽を出すどごど根を出すどごがあって、Tさんは根を出すがら花芽を取るんだども、芽はふすぺで「めかぶ」とあえればいいっけ。
(母ヨウコ談)

母ヨウコの茶飲み友達Tさんは畑ワサビをやってます。他の茶飲み友達と年中行事の花芽つみのお手伝いだそうです。話が盛り上がって「おおじなり」した笑い声が小松の山に響いたことでしょう(--;
(WebMaster@横浜)
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2007年05月09日

ハト現る

070507_hato_m.jpg
~ 5/7 9:12 ハト@岩泉~

飼っているハトがどごがらが飛んできたのを写した。
足輪が両方についているから絶対飼ってるのだよね?
(母ヨウコ談)

伝書鳩が弱って降りてきたのでしょうか?
それとも天敵のカラスにでも追われたのでしょうか?実家の近くの山には外に出してあるものを持っていってしまういたずらカラスが住んでいます。
(WebMaster@横浜)
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梅の花

070508_ume_ta_m.jpg

~ 5/8 11:30 梅の花&田んぼ@岩泉~

何とか今年も梅の花が満開に咲いたのを写したところ。
梅漬けするのを楽しみにしています。
雪が降らないといいんだけどさ。
(母ヨウコ談)

今年は遅くまで雪が降ったりしていましたが、ようやく春らしくなってきたようです。
盛岡の桜はもう終わっていますが、岩泉の梅はこれからです。
大久保の沢ぞいのささやかな田んぼも始まりました。
道路端の小屋は向かいの本家が牛乳を出すのに使っていた小屋で、今は(乳)牛をやめたので使ってません。
(WebMaster@横浜)
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2007年05月13日

大披将監屋敷

久慈市史 第6巻 史料編Ⅲ(天保元年~明治元年) P929

宇部村小倉に飛脚の休憩所設置願


乍恐奉願上候事

宇部村小倉御山之内、大披将監屋敷と申所江先年御鉄山御取立被遊候所廃山ニ相成、上戸鍍村御山江御引山ニ相成申候、然ル処先年一里御用状持送り往来之節、雪降相成候得ハ御用状持夫之者并外往来之者共至而迷惑仕候ニ付、大披将監と申者家一軒相建住居罷在候所、天保年中凶作之節、死絶候趣申伝相成居申候、随而恐多申上様奉存候得共、右将監屋敷と申処、私儀小屋相建住居相凌申度奉願上候、左候ハゝ冬分御用状持夫之者は勿論、往来之者救ニも相成可申奉存候、御慈悲を以願之通被仰付被下置度、乍恐此段奉願上候、巳上

慶応三年卯九月

    宇 部 村  戊  内 印
    親類野田村 長兵衛  印
    同 宇部村 茂右エ門 印
    組合同村  千  内 印
    同村肝入  丑 之 助 印

三浦八十右エ門様

太 田 源 五 平 様

(久慈市・豊巻家文書)

※ 横書きだとしっくりこない方は縦書きの文書をどうぞ。

明治元年(慶応4年9月8日改元)のちょうど1年前の話である。現在は野田村との村境に近い久慈市宇部町の小倉山には付近に家もなく「大披将監屋敷」が1軒だけ立っていたのだろう。地理的にみて以下の伊藤氏旧宅のことではないかと考えられる。

村の歴史文化手帳(村誌副本叢書第6集)

野田村教育委員会 編著

P123

野田村の北西の村界に小峠という集落がある。そこから村界を越すと「ナメリ」という地名があり、藩政時代にも宇部村分として「一軒 山際 小峠」として記載され、伊藤継三氏の旧宅(昭和3年小倉開拓入植)があった。そこはかつての野田街道岐れ道で、道標(向右は下戸鎖左上戸鎖宇部立仙)もあり、伊藤氏の先祖は山根からたった一軒で移住して、街道検分か救護の役を持っていたようだ。

現在でさえ小峠と下戸鎖間の白石峠は冬季閉鎖となっている。(2006年版の地図で確認)
冬には休憩所というより、吹雪にあった飛脚・通行人の避難所的な役割を担ったのだろう。

文書では小倉山から上戸鎖へ移動した鉄山の名前に触れていないが、弘化2年に記録がある「上戸鎖村翁沢鉄鉱山」であろうか?

また「大披将監屋敷」は「大披鉄山」と何らかの関係があるのだろうか?

2007年05月15日

畑はじめました。

070514_takakibi_m.jpg
~ 5/14 14:09 タカキビ畑@岩泉~

070514_inakibi_m.jpg
~ 5/14 14:12 イナキビ畑@岩泉~

070514_ninniku_m.jpg
~ 5/14 14:25 ニンニク畑@岩泉~

タカキミ畑と、イナキビ畑と、ニンニク畑です。
いつもと同じ春が来た。
これで順調に行けば言うことなしなんだけど。芽が出るのが楽しみです。じゃまた後ほど。
(母ヨウコ談)
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2007年05月20日

小豆山鉱山(仮称)


map_muroba_m.jpg

~ 盛岡 第八師管陸中國 20万分の1地図より
(クリックすると画像が拡大しますが、7MBほどありますのでご注意ください) ~

第16行第18段

明治23年輯製製版同27年修正同34年再修

明治27年10月24日印刷同10月29日發行 著作権所有印刷兼發行者 陸地測量部

定價金8銭5厘

(漢数字は算用数字に置き換え)

採鉱地の記号が「室場」の左隣、「小豆山」のところに見える。室場大披鉄山は明治2年までたたらを吹いていたが、この地図が発行された明治23年当時すでに廃山となっているはず。左隣にみえる小豆山鉱山(仮称)も室場大披鉄山と同時期に稼動し廃山となったのであろうか?あるいは、室場大披鉄山の採鉱地とたたら炉の場所を別々に記載したものか?

「小豆山」ってどこかで見たような見ないような...。

明治の岩泉


map_meiji34_m.jpg

~ 盛岡 第八師管陸中國 20万分の1地図より
(クリックすると画像が拡大しますが、11MBほどありますのでご注意ください) ~

第16行第18段

明治23年輯製製版同27年修正同34年再修

明治27年10月24日印刷同10月29日發行 著作権所有印刷兼發行者 陸地測量部

定價金8銭5厘

(漢数字は算用数字に置き換え)

上記の明治時代の地図を見ていて気付いたこと。


安家の「高須賀」とか、実家の「大久保」の位置が微妙に違う気がする。

明治までは高須賀がここの位置で、その後移転したということであれば、安家の川口(地図にはぎりぎり出てこない)とは目と鼻の先ということになる。川口には俊作の実家がある...。

20万分の1地図でも神社、祠が載っている。

他の地名を押しのけて「大久保」が地図にのっているのは、大久保に神社があるおかげ?

現在では塩の道と呼ばれているものが地図に記載されている。

穴澤~袰綿~馬立~滝野~二舛石~後山~土橋(小本川沿いの道より太く書かれている)

江川(安家)~黒森山~上救澤~門

田野畑村の田代、長根から安家の江川(高須賀?)への道がのっている。

三閉伊一揆で田野畑を出発した一群はこのルートを通ったのだろうか?


当然すべて手書きであろうこの地図、スキャンした画像を縮小したら山の高低差が立体的に浮かびあがってきて見事。

下戸鎖村の大ひらき山

久慈市史 第6巻 史料編Ⅲ(天保元年~明治元年)

P268

甲天保5年

持畑高年貢雇書留帳

午10月吉日

野田

下戸鍍村

舛野屋熊之助

P278~P279

天保8年酉12月 内村

一 大ひらきと申山野 三駄

(漢数字は一部算用数字に置き換え)

ここで記載された「下戸鎖村の大ひらき山」こそ、嘉永4年(1851)に開山した大披鉄山であろうか?

「街道の日本史(5) 三陸海岸と浜街道」p33

大披鉄山は幕末期に現在の久慈市下戸鎖の白石峠北西にあった鉄山で、(以下略)

2007年05月27日

養子宇助と小田家

うすうす感じてはいたが、佐藤儀助の養子宇助は同じ野田の給人小田弓助の次男であった。

安家村俊作 三閉伊一揆の民衆像 茶谷十六著 民衆社

P210

なお、門村の儀助は、給人小田弓助とは浅からぬ間柄であった。儀助には息子がなく、娘伊知に婿を迎えているが、この養子宇助は、小田弓助の次男である。

門村儀助と小田弓助、百姓たちから強い反感をうけ、一揆の攻撃対象となったこの二人は、姻戚関係をもふくめて堅く結びついていた。そして二人は、経営と行政の両面で、佐々木彦七、小田冨之進と対抗関係にあった。

佐藤儀助 &小田弓助 VS 佐々木彦七 & 小田冨之進の勢力争いも同時に指摘されている。
鉄山の権威であった彦七と新興の経営者儀助。
弘化一揆の後、岩泉代官所新設に失敗した彦七と、嘉永一揆により大披・室場鉄山を再起できなかった儀助、さらにその鉄山を引き継いだ彦七。

訴願に含まれる小川三ケ村の宮古通りへの復帰など「あくまでも個人的な心象だけでいえば」佐々木彦七が佐藤儀助を排撃する意図が弘化・嘉永の一揆に反映されていたのではないか?

2007年05月28日

餅粟と稗蒔きました

070524_hatake_m.jpg
~ 5/24 7:27-7:41 畑@岩泉~

餅粟と稗をいなきびの続きの畑に蒔いだった。
いなきびの畑にはハウスのパイプを利用して鳥追いの網を掛けるように棒が立ててある。畑の幅は9mもあるごった。おとといは雨が降ったっけァ、前に蒔いでだイナキビとタカキビが12日目で順調に芽がでだっけ。あとは草を取ったり、土寄せしたりして収穫がかわってくるなぁ。

畑に見えてる鍋は、イナキビ・粟・稗は種が細けぇがらそのまま植えればムラになるがら、一回土に混ぜで植えればいいがらって壊れた鍋を持ってきて使ってだ。クロゴマも植えたくて。
(母ヨウコ談)
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