« 舞茸な秋 | メイン | 秋じまい »

もう一つの塩の道

070813_tanohata_m.jpg
~ 08/13 8:05 一揆顕彰像@岩手・田野畑 ~

「新たのはた風土記」 田野畑村芸術文化協会 平成6年発行
P247
太平洋に面した田野畑村では、江戸時代より明治40年頃まで引続いて「塩炊き」をしていた。
P249
夏草が生え始める頃から、秋、草が枯れるまでの間は、沿道、牛の飼料があるので、その期間は、塩俵を2斗5升入りにして、牛に積んで盛岡市へ持って行った。山また山を越えての盛岡35里に牛を曳くのは、好天でも往復10日以上かかることであった。
第1日 田野畑海岸-沼袋-江川。泊り。江川、赤平神社の下に「上茶屋」「下茶屋」と呼ぶ2軒の宿があった。
第2日 江川-黒森山-見内川-大止り。泊り。大止りには、「マツサキカワ」「デロ」「ガマタ」「マチムラ」「サカサ」と呼ぶ宿があった。「マチムラ」は大きな宿であった。
P250
田野畑村は雑穀生産地帯であるが、当時全村的に塩炊きに没頭していて、畑作は怠りがちとなり、1反歩の雑穀収穫は、1石ぐらいに過ぎなかったため、盛岡から雑穀を積んで来た。(中略)製塩は大正年間より漸減、昭和年間廃止されていたが、大東亜戦争時、物資不足より、また開始。戦後、暫く続けていたが、後、廃止。

夏休みに入手した本を読んでいて考えたこと。

ベコの道にもあるとおり、安家から藪川のルートは「安家-江川-黒森山-門-名目入-早坂峠-藪川」だけかと思っていたら、「黒森山-見内川」というルートが存在していた。これは「黒森山-穴目山中腹-国見-見内川」というふうに考えられるのだが、実際はどうなのだろうか?(「黒森山-門-名目入-見内川」ルートは遠回りになるのでちょっと考えずらいはず。)自動車ではなく、牛に塩を積んでいたのであれば尾根伝いに移動したほうが近いということからもありえそう。あるいは他に「門-名目入」を経由しない理由があったのか?

・明治38年に塩専売法が施行されたのに「大正年間より漸減」ペースで田野畑では製塩をしていた?

・藩政期のこの地域の鉄山は労働者を確保するため飯米を盛岡など他地域から「輸入」していた。
時代がさがり鉄山がなくなっても「畑作は怠りがち」で、かわりに塩を盛岡に運び、雑穀を物々交換で手に入れていたのは稲作に不向きなこの地域ではごく自然なことだったのかも。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.oagense.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/323

コメント (16)

ちはる:

仕事の関係で深夜にNHKのラジオ番組を聴くことがあります
その中でもとのど自慢の司会をしていた宮川泰夫さんの
日本全国を、のど自慢で旅して見て聞いたと言う話のコーナーがあります。ずいぶん前になりますが葛巻での、のど自慢のことを話していました。その昔、葛巻は内陸え塩を運ぶ人達の宿場町であったそうです。そして塩を運ぶ牛は、道草と呼ばれていたそうです(道草ばかりしていたのでは、いつになったらと思ったのですが)。実は、馬ではなく牛を使って塩を運んでいたのは、道の脇に生えている草を食べても牛は、お腹をこわさないが馬は、こわすと言う意味らしいです。それと最後には、塩を売ったら牛も売って一杯と言うこんたんもあったみたいです。

葛巻のルートはどこから入ったのでしょうか。

ちはるさん

コメントありがとうございます。
WebMaster@横浜です。

葛巻ルートは野田塩を運んだ道のようですね。

野田塩ベコの道
http://www.nodabeko.com/nodashio/how4.html

1、野田-小峠-白石峠-下戸鎖-卯坂峠-小国-二又-平庭峠-江刈川-葛巻-黒森峠-吉ヶ沢(-尾呂部-沼宮内-盛岡-花巻)-中山-鹿角


>塩を運ぶ牛は、道草と呼ばれていたそうです。

なるほど道草ですか、うまいこと言いますね(^^)
森嘉兵衛先生の本?には、馬だと坂道の上りと下りで早さが違うが、牛だと一定していて重いものも運べたからと書いてあったように思いますが、食べるものも問題だったのですね。

びった:

花巻東、すごいっすね!
白河越えもあるか!


俺のばあちゃんは、人身売買で切牛に売られたって、
生きてた頃よく言ってました。

小本までは馬車だったそうです。


俺は高校の時、土人踊りをしましたが、

それに必要な竹棒やワラの綱は、
盛岡の油町(本町通)のナントカ旅館という荒物屋さんで
買いました。それが伝統だったようです。

岩泉から盛岡のいまの455は新しい道路で、
昔は下小路から山岸を経て、
松園寺を通るルートだったようです。

なので、ナントカ旅館は、
昔は牛方を泊める旅館だったけど、
いまは荒物屋さんとしてあるようです。

昔、牛方を泊めた部屋もまだあるようですよ。


>花巻東、すごいっすね!

すごいですね、いよいよ準決勝ですね。
ほんと、岩手県代表でお盆過ぎても甲子園の話ができるなんて「ああ、なんて素敵なのマシュウ!」(※1)な感じですね。

>なので、ナントカ旅館は、昔は牛方を泊める旅館だったけど、いまは荒物屋さんとしてあるようです。

もしかして平野正太郎商店(平野旅館)さんのことですかね。
http://www.morioka-times.com/news/2006/0602/12/06021202.htm

盛岡住んでた頃は全く興味なくて、店の前を通っても古い建物で商売しているなー(失礼!)ぐらいしか感じませんでした...。近くの内丸病院裏のスーパー(今調べたらジョイス)にはちょくちょく行ってた記憶があるんですが。

>盛岡の油町(本町通)のナントカ旅館という荒物屋さんで買いました。それが伝統だったようです。

うーん、何でそこのお店だったんですかね。深読みしだすと...。

河権旅館というと、畠山太助の話はもちろん牛方との関係から弘化一揆の弥五兵衛が特定できるという話もあったように記憶してますので、一揆とは切っても切れない旅館なんですよね。

※1
MXの赤毛のアン再放送にはまってます。脚本:高畑勲、絵コンテ:とみの喜幸なんて回があったりしてシブイ。

ET:

お久しぶりです。
最近3箇所(家のを合わせて4箇所)の畑作業と
本業と産直まわり(価格調査)でばて気味です。

やっぱり地元出身者の会話には入れないな~と思っていたら、
なんとびったさんとの接点が見つかったので
またお邪魔させていただきました。
盛岡で土人踊りなんて、同窓生じゃないですか!
(私の方がずっと上ですけど、そして今は差別用語ということで、土人とは言わなくなりました。女子の幼稚園児の格好も私はいやです。)

31年前、夏の甲子園に行ってきました。
41年前と違ってすでに東北の公立高校では
全然歯が立たない時代になっていてぼろ負けでした。
おまけに応援団の太鼓はブラバンの太鼓と違って
禁止されてしまい、応援もズタボロでした。
でも、甲子園に行けたことは、よっぽどラッキーだったんだなと
後で理解しました。

今年は申し訳ないのですが、花東を応援してました。
だって、佐々木監督の岩手出身の選手だけで挑戦するという
意気込みのすごさと、雄星君他多くのメンバーが盛岡なので、
息子みたいに可愛くて、純真で・・・また甲子園に行かせたかった。
準決勝後の雄星君の「胸を張って岩手に帰りたい。」
と泣きじゃくっている姿を見て、
三閉伊一揆や壬生義士伝の時代から(いやもっと前から?)脈々と
伝わる南部男子の純粋さ、堅気さを見たような気がしました。
そう、みんな暖かく迎えてくれるよ~、帰っておいで!!
って感じでした。

本当に、今年の岩手の夏は、野球で熱くなり、
甲子園大会の終了と共に涼しくなっています。
(長くてごめんなさい、お邪魔しました。)

びった:

>もしかして平野正太郎商店(平野旅館)さんの
>ことですかね。

そうです!名前をすっかり失念していました。

そこで竹棒と荒縄を買って、春まだ浅い盛岡で、
牛越場のあたりの草はなぜか育ちが早く、
そこで草刈りをして腰ミノを作りました。


今の小本街道は、455の寺町ルートで、
道路知事の中村直さんの署名の立派な石碑がありますよね。

(ちなみに県庁前の中央通りも
     455なのがなぜかうれしい。w)

でも昔は下小路山岸ルートだったんですもんね~。
あ、俺下小路中学校で非常勤講師してました。縁かな?


太助の話は初めて聞いたのですが、さもありなん。
盛岡の旧町名の方が俺は好きです。

びった:

もひとつ、WebMasterさん、ちょっとこの場をお借りして。

ETさん、はじめましてです。
先輩でしたか。イス!


俺がいうことではありませんが、w

などだりかだってくたんせ。
なんのしょうしいようもなござんすすけーで。


小本街道は、盛岡の中心部にダイレクトに
直結しているので、岩泉は盛岡から実は近いんですよね。

岩泉の学校の教員は、
定時退勤でカワトクの閉店に間に合います。

佐々木京一先生は、今のサンビルのところに下宿していて、
夜遅く帰ると怒られて、下宿の人に、
「岩泉の大事な人を預かっているのだからね」
と言われたというエピソードも思い出しました。


WebMasterさん、ETさん、おありがとうござんした。


>道路知事の中村直さん

私の中では「新幹線の中村直さん」のイメージが強いです。

というのは小学生の時分、アニメor特撮やってる夕方の時間帯に「新幹線ひかりは北へ」のような子供にとって退屈極まりない大人向けPR番組(?)をやってたことがあって、きまって登場するのは知事だったためです。
(だいぶ曖昧な記憶なので先代の知事?)

>でも昔は下小路山岸ルートだったんですもんね~。あ、俺下小路中学校で非常勤講師してました。縁かな?

私も盛岡のつつじヶ丘に住んでて、市内出るのに山岸のあたりから平安閣の脇を抜けるルートを自転車で通勤してました。
あの辺りは車と自転車と人が一緒だと微妙に狭い道路でしたので、当時は旧道かなとは思ってたのですが、やっぱりそうだったのですね。

ET:

「ああ、なんて素敵な(のマシュウ!!じゃなくて)ご縁!!」

コメントさせていただき始めてから約2年。
お目にかかったことのない方との不思議なご縁を感じます。

WebMasterさん、つつじヶ丘にいらしたんですか!?
すぐそばじゃないですか。
山岸から愛宕町の道路は相変わらず狭いです。
聞くところによると、60数年前から道路拡張の案があるそうですが、
いまだ実現していないから、たぶん無理でしょう。
作家の中津文彦さんのお宅などもあるし・・・。
三割のトンネルができたら、ラッシュも少し変わるかも?

びったさん、今大学生の息子は下中(したちゅう)卒業生です。
平野旅館(商店)さんには、うちの豆で毎年みそを作っていただいてます。
岩泉は皆様のように頭のいい人材を輩出する所ですね、本当に。
うちの息子の同級生(残念ながら私たちの後輩ではありませんが)で、
三田貝出身の土へんの「キクチ」君という子は、
現役で仙台の旧帝大に合格しましたよ。

山岸でも線路を越えたあたりの道路は、
昔の人は「へげど(閉伊街道)」と呼んでいました。
昭和40年代に出版された「もりおか物語(七)」には、
この近辺のことが書かれてますが、
その中で、山岸のお祭りで屋台などが出ていたところに
牛が突然暴走してきてめちゃくちゃになったらしいのですが、
その牛が田野畑から来たことを知った山岸の人々は、
佐倉惣五郎のような義民である畠山太助の出身地から来たのだから、
大事に扱わなければということで、
お咎めなしだったとかいう事が載ってました。
昨年、入月様のご紹介で、千葉で佐倉惣五郎の宗吾霊堂に行かせていただいた後だったので、
山岸あたりの人々でも、彼の名を知っていたことに感動しました。
(そして、生まれも育ちも山岸の私と、岩泉出身の皆様との不思議なご縁にも・・・。)

>WebMasterさん、つつじヶ丘にいらしたんですか!?すぐそばじゃないですか。

申し遅れまして(笑)
このブログを続けていて良かったのは、まだ一度も会ったことがない方々と日々コメントをやりとりするという不思議な経験ができたことです。会社でのあれやこれやを忘れて好きなことを書きちらかしている訳ですが、今後もおつきあいいただければと。

>平野旅館(商店)さんには、うちの豆で毎年みそを作っていただいてます。

なるほどー。もしかして牛方の話とか、畠山太助の話とか平野商店さんで聞いてましたとか...。

>山岸あたりの人々でも、彼の名を知っていたことに感動しました。

藩政時代、他藩で起きたことってあまり知らないのかと思ったらちゃんと皆知っていたんですよね。情報網というか口コミの力ですかね。

# 遅い夏休みで本日から帰省しております。
# コメント公開遅くなる場合がありますのでご容赦ください。

ET:

今年は、5月から毎週土曜日雫石に通っています。
うちからだと、どこを通っても盛岡を横断しなくてはいけません。
最近は、今の中央病院前から夕顔瀬橋、太田橋を通って、あとはひたすら西へと行きますが、
帰り道、太田~夕顔瀬~上田の中央病院と来ると、その先に工事中の「北山トンネル(南部さんのお墓のある山)」があって、出来上がるとその先は・・・なんと岩泉???なんて思ってしまいます。秋田・雫石方面から岩泉が直結?してしまうの~??なんて岩泉びいきの私です。

# コメント遅くなりました。

>今年は、5月から毎週土曜日雫石に通っています。

もしかして雫石の道の駅とかでしょうか?
8月末に帰省したとき行ってみたのですが、すごい人手ででした。

その時北山トンネル前も通ったのですが、使えるようになるのにすごく時間かかってますね。トンネル出口とかもう完成しているように見えたんですが...。

ET:

う~ん、残念ながら、道の駅ではなく、
農業公社のコテージ村での農業塾です。
片道25kmあるので、結構時間かかるんですよ。

そうそう、なんというタイミングなのか、
今日の日報の夕刊に、「北山トンネル」が10月26日に
開通するというニュースが載ってました。
救急車が岩泉方面などから中央病院に来る時間が
短縮されると書かれていて、なるほど~と思いました。

>今日の日報の夕刊に、「北山トンネル」が10月26日に開通するというニュースが載ってました。

良かった!バイパス乗るのが少し楽になるだけでも喜んでます(笑)

>農業公社のコテージ村での農業塾です。片道25kmあるので、結構時間かかるんですよ。

盛岡市内から雫石への移動は意外と距離あるんですが、お疲れ様です。
雫石の農業塾で検索してみたんですが、こちらでしょうか?
http://www.i-agri.or.jp/ninaite/1event/taikenjyuku/taikenjyuku.html

ET:

ピンポ~ン!当たりです。
雑穀の収量が少なくて、加工を断られたので、
どこか土地はないかと相談しに「農業人フェア」に
参加したのですが、その御縁で「実践コース」に行かせて
いただいてます。(半強制かな?)
無料というのが魅力ですが、国の補助金でやってるため、
同じ人が毎年続けてというのは無理と言われました。
ハウスを大きく使わせてもらってたりして、
結構贅沢なんですよ。

軽米の雑穀サミットにも行ってきましたが、
農家の手取りが少ないのに、1,000万円もするコンバインを
見せてたりして、わずかですが作ってみている立場からすると、
ちょっと???なサミットでした。

そうそう、またまたトンネルですが、
なんと25年もかかってようやく出来たそうですよ。

>軽米の雑穀サミットにも行ってきましたが、

実家情報によれば軽米方面は雑穀の本場ということなので、大規模にやっていて1,000万円でもペイするんですかね。実家ではちょっと想像できないですが...。

>なんと25年もかかってようやく出来たそうですよ。

そんな昔からですか。盛岡に居たころ聞いたことあったかどうか...。何はともあれできて良かったです。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

お知らせ

「オオクボノシタ」は産直サイト を運営しています。ぜひ一度ごらんください。

最近のコメント

About

2007年10月17日 23:36に投稿されたエントリのページです。

ひとつ前の投稿は「舞茸な秋」です。

次の投稿は「秋じまい」です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type