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2007年12月 アーカイブ

2007年12月02日

つけものカルテット

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~ 07/11/27 漬物@岩泉 ~

いろいろ漬け物を漬けで冬に備えでいるのね。
それで赤いのは赤カブ。例年とおり赤カブ。
白いのはガックラ(キッカゲ)漬け。白い大根を切って漬けだやづ。小さぇ頃よぐ食べだんだよなぁ。
うーんと、次はしょうゆ漬け。ちょっと色が濃いのはしょうゆ漬け。それは最近縁樹に行って皆さんがら聞いで作ってるんですけど。
次は白菜漬け。まだすっかり味がしみでないけども正月ごろにはちょうど美味しくなってると思うけど。
お帰りを楽しみに。帰ってくるのも楽しみに待ってるというか。
(母ヨウコ談)
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落宰さんへ

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~ 11/30 11:15 アオゾラ@岩手・葛巻 ~

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~ 11/30 11:19 上外川高原牧場の風車@岩手・葛巻 ~

落宰さんの加工していただいた雑穀ができたのでとりに行ってきたんだけど、その途中の空のきれいなこど。風車を遠くから写したんだけど分がるがな?
タカキミ粒のやづは2回目今日頼んだのにお願いしようかと思っていだので、タカキミの粒は
今回はありません。ちょっと混んでいるので時間かがったったけども、今年中にはまた2回目ができるがなぁとは思っていました。
(母ヨウコ談)

2枚目の写真中央やや右下の山の稜線上に風車5基が小さく見えます。
今年も落宰商店さんに雑穀を精げていただきました。
2007年の雑穀いよいよ出荷です。
(WebMaster@横浜)
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2007年12月04日

雪の日にきたアオ

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~ 12/3 11:08 雪とカモシカ@岩泉 ~

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~ 12/3 19:15 キビダンゴ@岩泉 ~

今朝から雪降りの岩手を写したのを送っております。気がつくがどうかわがんないけど、(写真の)真ん中辺にナシの木があるどころに、カモシカが立ってだのね。それを写す気して撮ったんだけど分がるがな?どうかな。

あど今夜はキミダンゴ作ったのね。とってもやわくておいしかったよ。
(母ヨウコ談)

もさもさと雪がふってきたようです。
カモシカもエサをさがしに降りてきたのでしょうか。
こんな雪の日にはキビダンゴがあったまります。
(WebMaster@横浜)
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2007年12月09日

袰綿農神社

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~ 2007/01/01 11:19 農神社@岩泉・袰綿 ~

神社へのアクセス
広域地図

撮影からもう1年近くたちましたが、袰綿農神社の遠景写真です。
(WebMaster@横浜)

2007年12月11日

おせち@縁樹

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~12/10 14:21 おせち料理の講習会にて@岩泉 ~

今日送っている写真は10日に縁樹でおせち料理の作り方を講習して、でぎあがったものを写したんだけど。正月に少しは作れるがなぁど思ってますけど。期待しないで待ってください(笑)

会員でない人たぢを募集して12人ぐらい来て、それに縁樹の人たぢが8人で20人ぐらいでやったんだけど、なかなかいい塩梅にできたったよう。
(母ヨウコ談)

正月といえば、もちに煮しめ、けんちん汁が定番なのですが、最近はしゃれたものも作るようになってきたようです。
(WebMaster@横浜)
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2007年12月14日

明治の砂鉄

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~11/30 8:00 朝の月@岩泉(写真は本文とは関係ありません) ~

山根村誌よりで、久慈市山根では舘平鐵山が明治12年開始とあり、高炉におされていた砂鉄のたたら吹きは下火になっていたこの時期、どんな需要があったのか?と疑問をもっていたが、以下はその回答なのかもしれない。

仙岳随談 新渡戸仙岳著 森荘已池(編)熊谷印刷出版部
P118
南部鉄瓶のはなし
P126
一体に鉄瓶ばかりではなく、鍋でも釜でも南部のものが、世に珍重されてきましたのは、型や色の優秀なためばかりではなく、肌に鉄気を生じないこと、サビのできがたいことが使う人に認識されているためであります。それは、つまりは砂鉄から製錬した鉄を材料にしたためであります。 [中略] 砂鉄が飲食の器として都合のよいのは、釜、鍋、鉄瓶の内部に、ちょっと生ウルシを塗ったばかりで、すぐ使えるという特色を持っておりますが、岩鉄から製錬した鉄では、そう簡単にカナ気が抜けないのでありまして、砂鉄がだんだん得がたくなってから、鉄瓶の製作はどうなったかという疑問が、当然出てこなければなりません。 これを発明しましたのが、近代の名工有坂富右衛門であります。はじめはやや秘密にされていましたが、そのうちに誰も彼も、これを知って応用するようになりました。それは一旦鋳出した品をある程度まで、その品の内部を炭火の炎で焼いて、酸化鉄の膜をかけるのであります。

1857年(安政4年)、大島高任が釜石で洋式高炉を始めた時から、在来のたたらで吹いた砂鉄はどんどん衰退していく運命だったのであるが、南部鉄瓶も新しい岩鉄のために製法を考えざるを得なかったとは。

面白い話だなと思いつつ、また疑問が...。
「岩鉄」とは何を指しているかであるが、これは従来の砂鉄ではなくて釜石方面に豊富にあった鉄鉱石を精錬した鉄のことだろうか?

カナケが抜けないのは砂鉄と鉄鉱石の違いもさることながら、コークス(石炭)で高温精錬したためではないのか?
玉鋼(和鋼)は精錬燃料にコークスを使ったり(硫黄分が多い)、高温で精錬すると炉の壁から悪い成分が混入するため、木炭で精錬するものらしいのである。

また、岩手県北は砂鉄がメインであるものの、県南の釜石は鉄鉱石が砂鉄状で採取できたため、高炉が登場する前からたたら炉で同じように精錬できたらしいのである。

あいかわらず疑問ばかりが増えるが、ケイゾク。

2007年12月16日

岩鉄とは?

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~ 2006/11/05 10:57 三井金属資源開発(株)岩手鉱業所(日本粘土)@岩泉 ~

'93 不思議の国いわいずみ ふるさとノート 岩泉民間伝承研究会
P335
鉱山(やま)の灯を消すな - 闘いぬいた八ヶ月
日本粘土鉱業所閉山反対の闘いの記録
P337
採炭のはじまり
天保末期(1840)頃 門の上酒屋儀助が鉄山経営をした際、砂鉄の溶解に利用するため石炭を採掘し(岩鉄とよんだ。)耐火粘土と共に、田野畑村鉄山に牛の背で運び、石炭は砂鉄の溶解に、粘土は溶鉱炉に利用したといわれている。
小川上酒屋当主佐藤政太郎氏(故人)談話

上に引用したように、「岩鉄」は上酒屋家の伝承から始まってるような気がする。

岩泉地方史であったり(日本粘土参照)、森嘉兵衛氏の著作にも「岩鉄」の記述があったように記憶するが、いずれも上酒屋家への取材が元になっているのではないか。

「田野畑村鉄山」とあるのは室場の大披鉄山(白石峠の大披鉄山とは別)を指すものと思われる。
大島高任が高炉を始めた1857年(安政4年)から、遡ること17年!すでに石炭と耐火粘土による精錬を始めていたのである。

しかも大島高任の場合は、高炉+木炭による精錬であり、たたら炉+石炭(+木炭?)の大披鉄山はそれに先行していたことになる。
時期的にはすでに幕末であり、高炉や石炭燃料についてある程度の情報は入っていたかもしれないが、科学的な裏づけというより経験的に「よい炉の材料、よい燃料」を探した結果として使っていた気がする。

明治の砂鉄で、岩鉄はカナケが抜けない云々の話があったが、そこで指摘されている岩鉄と、ここでいう「岩鉄」が同じものであれば、田野畑村に残る鉄山跡が藩の鋳銭所だったこととあわせて、南部鉄瓶などの鍋釜類のためではなく鋳銭のために岩鉄を使っていたのではないだろうか?
(WebMaster@横浜)

2007年12月17日

ヨウドは用度

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~ 12/12 14:23 雪の大久保@岩泉(写真は本文とは関係ありません) ~

'93 不思議の国いわいずみ ふるさとノート 岩泉民間伝承研究会
P335
鉱山(やま)の灯を消すな - 闘いぬいた八ヶ月
日本粘土鉱業所閉山反対の闘いの記録
岩本 光雄 小松原 進
P340
生活協同組合をつくる

昭和二十五年、労組大会において、「会社に賃上げを要求するだけでなく、 物品を安く買うために協同購入等を考えるべきでないか」との発言があり、 準備委員会が設置され、[中略]スタートした。

生協発足当初は、会社からトラックを借りて、月二回宮古から魚を仕入れて 販売することからはじめた。 そもそも、会社には「用度」という物品の配給や販売する店舗があったので、 これを借り受けることとした。[中略]

引き受けてみると、いろいろと問題もあった。酒など免許がないのに販売していた。 戦争中の配給制などから引き続き販売していたものか、税務署も何年も販売 させていたのだからおかしなことであった[以下略]

門(かど)出身の方なら一度は聞いたことがあるはずの「ヨウド」。同じ店なのに「生協」と呼ばれたり、「ヨウド」と呼ばれていたり。私も物心ついたころからすでに「ヨウド」だったが、上の文中にあるように正式名称(?)「用度」と初めて知った。

炭鉱の用度課とか用度係とかの意味だったのだろう。

藩政期の鉄山は、そこで働けばコメや酒が手に入り、外の世界と切り離された治外法権だったらしいが、無許可で酒を売っていたあたりはその名残りだろうか(^^;?

せっかく由来が分かったのではあるが、だいぶ前に「ヨウド」は取り壊しとなっているorz
(WebMaster@横浜)

2007年12月20日

キナコ

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~ 12/17 11:29-16:06 キナコ作り@岩泉 ~

今年もキナコを作る準備をしてるどごろを写したの(写真)です。薪ストーブで豆を炒って、これがまたコツがいるんだよなぁ。焦がさないようにやらないと、キレイでないし、苦いし。炒めて3時間か4時間ぐらい置いて冷まして硬くなったところを挽いて粉にして、さらにほぅろって、細くおろして作るんだけど。今年もおいしいキナコができました。そのうち送ります。いよいよ正月が来るんだ、ということでまた後ほど。
(母ヨウコ談)

去年の晦日の餅つき風景。今年もあと10日ほど。正月は実家でキナコ餅、クルミ餅...餅三昧の日々です。
(WebMaster@横浜)
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こちらがクラカケ(鞍掛)豆です!
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2007年12月23日

イヌワシと鷹

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~ 12/22 17:53 明るい月@岩泉(写真は本文とは関係ありません) ~

岩泉地方の古文書(上) 岩泉町教育委員会
P290

鷹は馬とならんで全国的な価値をもった産物であった。馬は軍用であるが、鷹は当時の武将には不可欠のレジャー用でありこの地方がその産地であった。南部藩から前田家に鷹三十一居を贈ったとか、天正十六年には秀吉に鷹三十居、馬百疋を献上したとか史書にみられるところである。従って鷹の巣を発見しても、鷹を取っても一々藩に報告したのである。馬の育成とならんで鷹取は重要な仕事だったのである。

北上高地のイヌワシは天然記念物に指定されているが、江戸時代以前は鷹の産地だったとは...。

たまたま前見た「ダーウィンが来た!生き物新伝説 第7回 はばたけ!イヌワシ大五郎」で、イヌワシは人間が切り開いた牧草地などでヘビをとって生きているため、牧草地が荒れて樹木が生えるようになるとエサが捕れなくなり大変なことになるらしい。

鷹は野ウサギなどをエサとするらしいが、イヌワシと同じくやはり人間が開いた土地を餌場にしていたのであろうか?
(WebMaster@横浜)
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2007年12月27日

鷹の渡り

菅江真澄遊覧記2 菅江真澄 内田武志・宮本常一編訳 平凡社ライブラリー
P118 岩手の山
行く途中の山の崖の梢から鷹があらあらしくつばさをならしてとびたつと、林の鳥はひっそりとなりをひそめている。このあたりには松前に島渡りする鷹がいて、姿かたちがたいそう立派である。

上の引用は天明8年(1788)6月、松前を目指して北上していた菅江真澄が29日早朝に盛岡を出発、渋民に向かっていたときの描写である。

一部の鷹は渡りをするんですね。オオタカ - Wikipedia

恥ずかしながら初めて知りましたf(^^;
(WebMaster@横浜)

2007年12月31日

2007年は...

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~ 12/31 11:27 オオクボにふる雪@岩泉 ~

実家帰省中の「おあげんせ」のWebMasterです。
久しぶりの雪かきで、若干キーボードを打つ手が震えています。完全な運動不足です(^^;

さて2007年の「オオクボノシタ日記」も今日が最後の投稿です。
日々の畑仕事の話と、オオクボノシタがある岩泉・岩手の歴史と風土を辿るという話の二本立てで行きたいと思っていたのですが、なかなかうまくいかないものです。

カメラマン兼コメンテーターであるWebMasterの母ヨウコは、おかげさまで「縁樹」(えんじゅ)が昨年よりも忙しくなり、なかなか写真を撮っている時間がないほどでした。これも早坂トンネル開通の効果でしょうか?

また歴史ということでは三閉伊一揆を中心とした色々な本を読んではみたものの、ようやく分からないことが分かったという状態です。まずは簡単なメモをブログにのせてみたところ、関心を持っていただきコメントいただけたのは非常に励みになりました。

「おあげんせ」自体まだまだ試行錯誤を続けておりますが、2008年もより沢山の人に興味を持ってもらえるように努力したいと思います。
(WebMaster@岩泉)

追記します。
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~ 2008/01/01 7:19 雪の袰綿農神社@岩泉 ~

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