
~ 2008/01/19 17:47 宵の月@岩手・岩泉(写真は本文とは関係ありません。) ~
- 社会科副読本 おはなし「小川物語」 岩泉町小川地区教育協議会 社会科部会
- 「伊底羽(いでは)神社」について 伊藤静夫
- P9
- キリシタン信者のとりしまりのおりには、法印様といわれた山伏が、村じゅうの家々をまわっておがみ、守札(まもりふだ)をおき、おかねをいただいて歩きます。それをことわる者はキリシタンとみなされるから代官所へとどけろとの達(たっし)がでてから、村全体が檀家のような山伏の”霞領(かすみりょう)”というものができたともいわれております。
「小川(こがわ)物語」を読んで、やっぱり小・中学校の先生って説明が「わかりやすい」と感じました。いつもブログで文章を書いていて難しいと思うのが、「わかりやすい」文章を書くことなんですが、やっぱりその道のプロという感じがします。小川物語を送っていただいた親戚のMさんに感謝です。
で、小本川すじではもっとも古いといわれる伊底羽(いでは)神社に関連する話です。
一揆には山伏も参加していたという記述をみかけるので、「キリシタン」「山伏」「代官所」という取り合わせにちょっと意表をつかれます。
(WebMaster@横浜)
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この投稿は以下の分担で作成しました。
・写真撮影 WebMasterの母ヨウコ@岩泉
・投稿とコメント WebMaster@横浜
(WebMasterは産直サイト「おあげんせ」の管理者です。)
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コメント (17)
WebMaster@横浜様
お久しぶりです。
私も最近同じ本のコピーを読みました。
〔昭和52年発行のコピーで古い資料ですがコピー者の思い入れを感じています〕
この地、不思議の国いわいずみ「小川」を語るときに600年位前の公家の落人「袰綿御所」は有名ですが、奈良から都落ちの藤原氏の氏神様の『伊底羽神社』は大同2年=802年に建てられた説があるというから途方も無い古い神社のようですね。
代々別当をつとめる当主は社宝の「霞のムチ」を持ち、その後の歴史の中で奉納されたと思われる「獅子頭」は安永3年〔1774〕等、いつの時代か裏側が十字の鉄でおさえられた「男と女の人の像」もあるようですね。
キリシタンの信者は鉄山労働者の中に逃げ隠れ込んでいたらしいのでそれでも200年前位ですよね。
私はこの神社の存在を知らなかったです。
調査され資料に残した当時の先生方の地域教育の熱意には本当に敬服します。
Posted by: 入月 | 2008年02月11日 11:10
日時: : 2008年02月11日 11:10
鉄山などは治外法権(?)のため、キリシタンやその他の犯罪者(言葉がよくないかも)等が多くいたというのは本当なんですね。ちらっとそんなことが「一揆の奔流」にも書かれていたような・・・。
「奈良から都落ち」というのは、小川地方にやってきたということですか?いわいずみはそういう方々の坩堝みたいなイメージがありますね。(さっぱり土地感覚がないので・・・今年の岩泉方面の旅行の参考知識にさせていただきたいのでいろいろ教えてください。)
Posted by: ET | 2008年02月13日 15:12
日時: : 2008年02月13日 15:12
鉄山は山法で守られていたでしょうし、そもそも岩泉への道はどこも峠道で人を寄せ付けなかったのでしょうね。。。藩政時代、小川三ケ村(袰綿、穴沢、門)は、属していた宮古通りでは往来が不便だということで運動して上田通りにしてもらったくらいですから。
また、私の通った小川(こがわ)中学校は中沢、門、小川小学校の生徒が集まってたのですが、小川小学校方面(農神様のある袰綿や穴沢方面)の方は、それほど地域が離れているわけでもないのに言葉のイントネーションが関西かな?という方がいました。袰綿御所があったため云々という話を当時は聞いてましたが、本銅鉱山が近くにあったので他地域から人が入っていたのだろうなと今は想像しています。
Posted by: WebMaster@横浜 | 2008年02月14日 00:22
日時: : 2008年02月14日 00:22
WebMaster@横浜様
ET様
>「奈良から都落ち」というのは、
現実的に考えればどんな理由で都の貴人があの僻地中の僻地の国境へと思いますよね。
史実は?どうして?。これも不思議の国の一つです。
>鉄山は山法で守られていたでしょうし、
この山法とは何でしょうね。
自治権という治外法権は国家権力に対する学内自治権を主張した大学闘争を思い出します。
がしかし誰が決めるかで実際は雇用主に都合よく決めたのでは?。
>言葉のイントネーションが関西かな?
袰綿御所なら「不思議の国」としても面白いですが・・。
公家の関西弁が700年近く強烈な東北弁と孤軍奮闘して残ったとは?・・本銅鉱山なら?!かも。
Posted by: 入月 | 2008年02月14日 09:41
日時: : 2008年02月14日 09:41
関連情報を見つけました。
伊底羽でヤフー検索。
岩泉町の計画書〔基本構想〕らしき文書
http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/kikaku/plan02.doc
2、私たちの歴史と未来
(1)町の成り立ち
・・・・・また、小川国境の伊底羽神社、有芸の伊豆神社、小本の熊野神社が平安時代の大同年間(806年 ~809年)の創立と伝えられていますが、これは征夷大将軍として東北地方を攻略した坂上田村麻呂と関係があると考えられています。・・・・・
この民間伝承らしき1200年も前の根拠、裏付けは何だろうともっと知りたいですね。〔不思議の国のロマンが壊れますが・・・。〕
Posted by: 入月 | 2008年02月15日 19:40
日時: : 2008年02月15日 19:40
入月様
コメントありがとうございます。
岩泉地方史にあたってみました。伊底羽神社の別当をされている藤根氏の伝承を取材したようです。
岩泉地方史 P444
「畝傍より平泉を経て来たと伝え、吉野大峯系と思われる。先代まで神式葬であった。」
天保、文化期の修験者墓碑もあるようです。
岩泉町内には他にもまだまだ修験者墓碑があり(江戸時代のものが多いようです)、何代か前に山伏をしていたという伝承をもつ家もあるようです。
有名な「七頭舞(ななつまい)」も源流は山伏の神楽のようですし、この辺も岩泉ならではということでしょうか?
Posted by: WebMaster@横浜 | 2008年02月16日 20:15
日時: : 2008年02月16日 20:15
神楽の種類もご存知なんですか。(常識かな?)
最近「ふるさと岩手の芸能とくらし とりら」という情報誌を見つけて、買って読んでみたんですが、そこに「山伏神楽」という言葉が何度も出てきます。私はさっぱりわかんないので、WebMasterさんすごいなーと思います。WebMaster様は民俗芸能にもお詳しいのですか?救沢剣舞の体験ができるとグリーンツーリズムのページで見ましたが、どうなんでしょう?
私が習っていた中国武術の中に、「常蛾本月」という型が出てくるのですが、入月様のホームページを見て、何かご縁を感じていました。梅もきれいですね。今週末、千葉に出かけますが、6~7時間フリーな時間をどう過ごそうかと思っています。関東地方の皆様教えてください。
(思考があちこち飛んでるようで、失礼しました)
Posted by: ET | 2008年02月18日 17:26
日時: : 2008年02月18日 17:26
ET様
>WebMaster様は民俗芸能にもお詳しいのですか?
いえいえ、この辺すべて「岩泉地方史」からのウケウリですf(^^;
はしょりすぎたので「七頭舞(ななつまい)」についてちょっと長めの引用です。
文章中の「現在」は昭和55年のことですので、今ではもっと少なくなっているんでしょうか...。
>救沢剣舞の体験ができるとグリーンツーリズムのページで見ましたが、どうなんでしょう?
グリーンツーリズムで「救沢剣舞」!全くノーマークでした(^^)運動不足解消にはとても良いかもです。結構動きが激しいので、私など1分もたたずに息が切れてしまいそうですが...。最期は門の不昧庵で奉納でしょうか?
救沢剣舞(すくいざわけんばい)
http://www.oagense.jp/blog/2007/09/post_90.html
>関東地方の皆様教えてください。
千葉=浦安=ディズニーランドくらいしか思いつきませんm(_ _)m
Posted by: WebMaster@横浜 | 2008年02月18日 22:06
日時: : 2008年02月18日 22:06
WebMaster@横浜様
町役場の公式HPの「町の成り立ち」は「岩泉の地方史」をベースに作っているようですね。
「畝傍より平泉を経て来たと伝え、吉野大峯系と思われる。先代まで神式葬であった。」
平泉の奥州藤原氏からすると時代が200年位の差がでるので「大化の改新」の藤原氏とするのでしょうかね~。
史実とすれば都落ちではなく吉野山から修道者〔山伏〕が目的をもってやって来た、が自然な感じがします。
森嘉兵衛著の「日本僻地の研究」上巻P576に八戸南部藩の資料としてこの地方の宗教者数を〔出家・158、社人・49、山伏・1120〕と修道者〔山伏〕の圧倒的多数のこの時代の様相は現在では考えられないことで面白いですね。
「小川物語」はこれ以外の項目でも大変ロマンがあり私のHP「入月の浪漫」に”不思議の国いわいずみ「小川物語」”としてページUPしてみようと思っています。
ET様
私が習っていた中国武術の中に、「常蛾本月」・・・・とは光栄です。
中国の神話故事「常我奔月」には日本のかぐや姫と同じようにいろいろの物語があるようですね。〔字の違いは翻訳者?〕
”千葉でフリーな6~7時間”との課題は在県人としてお褒め頂いてた後でもあり真剣に考えましたヨ。
このサイトとの共通の接点で「義民を訪ねて」は如何でしょうか。
京成電鉄に「宗吾参道駅」があり一揆の義民では福沢諭吉も高く評価する日本一に有名という佐倉惣五郎の「宗吾霊堂」は駅徒歩15分位のところです。
私のHPの「一揆の奔流」一の10 袰綿村農神様〔首切り観音〕の関連研究として詳細。
京成はJR総武線と平行で途中駅からも乗り継ぎはたくさんあります。その他の関連情報はネット検索ということで・・楽しい週末に!!。
Posted by: 入月 | 2008年02月19日 18:14
日時: : 2008年02月19日 18:14
入月様、ありがとうございます!!(WebMaster様のブログ上でお礼を言うのをお許しください)
実は、受験の息子にくっついていく、過保護な親です・・・。待っている時間、あてがないし、千葉は私にとって未開の地なので、入月様あたりにご指南いただければと思っていました!なかなか素敵なご提案、ありがとうございます。子供たちにいつも振り回されてばて気味なので、日中じっくり調べさせていただきたいです。取り急ぎ、お礼まで!!
「常蛾」は、私たちが習った話では、中国では、蛾は美しいものの例えなそうで、かぐや姫のような美しい「妖怪(??)」みたいな者が月に向かって飛んでいく様を武術上の型にしている(説明がうまくないですが)ということで、日本人では、あまり考えられない格好をします。ちなみに、私が習っているのは、日本花架拳学会の花架拳というものです。(いろいろ流派があるんですが・・・)
Posted by: ET | 2008年02月20日 23:48
日時: : 2008年02月20日 23:48
皆様、おかげさまで無事千葉の旅をしてきました。無事といっても、行きは暴風雨のため、新幹線が一時ストップしてしまい、千葉に入るまで盛岡から10時間かかりました。多くの受験生が足止めを食らい、車両の中で最後の仕上げをしていました。
25日、成田山新勝寺へ向かった後、いよいよ宗吾霊堂へ。月曜日のため、宗吾御一代記館は閉館でしたが、本堂の中に入って、その中をぐるっと回って拝ませていただきました。Qちゃんこと高橋尚子さんも、お参りされてるそうですね。
境内でびっくりしたのは、寄付金の額でした。入月様がおっしゃられるとおり、百万単位もあり、その少しはなれたところには、数千万の石碑も!!ああいうたたずまいは、こちらにはない雰囲気ですね。また、佐倉宗吾は家綱公に直訴したとのこと。やはり中央に近い所ならではの史実に、圧倒されてきました。
宗吾霊堂に向かうタクシーの運転手さんに聞きましたが、24日は成田はものすごい暴風で、駅前あたりでは歩行者が飛ばされないように電信柱にしがみついたりして大変だったようです。25日は風は冷たかったとはいえ、とてもいいお天気で、観光日和でした。これも皆様とのご縁のお導きと思います。これからもご指導よろしくお願いします!!(ちょっとまじめくさかったかな?って本気です。)
Posted by: ET | 2008年02月26日 15:19
日時: : 2008年02月26日 15:19
春一番の強風の中お疲れ様でした(^^)
息子さんの受験、よい結果がでると良いですね。
Posted by: WebMaster@横浜 | 2008年02月27日 01:06
日時: : 2008年02月27日 01:06
ET様
お受験の『合格祈願』には大きいことはいい事で有名な「成田山新勝寺」、そして隠れた穴場としてマニアックな「宗吾霊堂」は地元では有名ですヨ。
この二つともゲットは御利益は間違いなし!!。
Posted by: 入月 | 2008年02月27日 09:37
日時: : 2008年02月27日 09:37
ちょっとご無沙汰してしまいました。ETです。
皆様に期待させてしまって申し訳ありませんでしたが、息子はみごとに玉砕しました。(って千葉に行く前からほとんど可能性はなかったので、親子ともども余りショックは受けていないのですが・・・。)先生にもかなり反対された中、自分の意思を通したので、受験後、よくここまでがんばったなあと正直思いましたよ。どのような形になるかは、まだ分かりませんが、いずれ関東方面にお世話になる予定(??)ですので、今後ともご指南よろしくおねがいします!
Posted by: ET | 2008年03月09日 15:18
日時: : 2008年03月09日 15:18
ET様
ご無沙汰してました。
今回は残念でしたが、今後のことを考えれば「自分の意思」でというのは重要ですよね。
Posted by: WebMaster@横浜 | 2008年03月09日 16:51
日時: : 2008年03月09日 16:51
ET様
正直、ご利益が叶ったかどうかと少々気にしていました。
>息子がみごとに玉砕しました。
「ああ玉杯に・・・」の一高寮歌の古い時代の言葉ですね。
望みの通りにいかない時の選択、判断力こそ長い人生では重要で、不合格もこの期しか経験できないことからすれば大切な本当の勉強を息子さんはしたと思います。
かの時代は青年は天下国家を憂い、そして「母は強かった」です。
これから大人として自立する息子さんを陰より応援してあげてください。
Posted by: 入月 | 2008年03月10日 19:45
日時: : 2008年03月10日 19:45
お二方には、お励ましの言葉をいただき、心がとっても暖まり、このブログにコメントさせていただいていて、本当に良かったなぁと思っています。ありがとうございます!!
>古い時代の言葉ですね。
なにせ、軍艦マーチの替え歌を歌っていた時もありますから・・・(?)
落ち込む暇もなく、また、とある関東地方に赴きました。「岩手は広い」と思っていたのに、「関東も広かった」です。息子のおかげで、また、知らない地方の旅ができました!(なかなか自立できない息子と親バカですね。)
Posted by: ET | 2008年03月13日 14:34
日時: : 2008年03月13日 14:34