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2008年03月 アーカイブ

2008年03月03日

ワサビの苗

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~ 2008/02/29 16:15 ワサビ@岩泉 ~

まだお茶飲みの友達の人達(ひたぢ)ど29日にTさんの家に行ったどぎ、ワサビの苗を写したんだけど。
(母ヨウコ談)
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ひょろぎ?

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~ 2008/03/01 15:28 ひょろぎ@岩泉 ~

ピンクの入れ物にあるのが春の掘り出し物"ひょろぎ"っていうのです。家の畑がら掘ったのだけど、よぐ料理に使うんだけど、とりあえず漬物にして縁樹に持って行こうかなぁと思って。
昔は知らながったども、前に松川温泉だがどごだったかで(食事に)出てきた時に、山に生えでだのを覚えでで、畑のすまこさ植えでだった。
(母ヨウコ談)

正式にはチョロギというらしいです。カタツムリの幼虫?かと思った(^^)これ食べたことないなぁ。
(WebMaster@横浜)
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原木マイタケの季節

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~ 2008/03/03 15:44 原木をかまゆで@岩泉 ~

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~ 2008/03/03 16:51 原木運搬中@岩泉 ~

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~ 2008/03/03 17:22 袋詰めされた原木@岩泉 ~

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~ 2008/03/03 17:58 屋根に積もる雪@岩泉 ~

(平成)20年のマイタケを今日、(原木を)煮だどごろを...煮でだどごろは湯気で見えないけど...写してみました。(原木を)箱に入れで冷まして、明日の朝、菌を入れる作業をするんだけど、120個ぐらいかな。まだ立派なマイタケが出たらおぐってやりますので。

ということで、少しづづ春の仕事が始まったっつう感じで。今日は天気悪いので、チラチラちらちら粉雪が降って屋根にかがって...。
(母ヨウコ談)
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2008年03月09日

日本粘土とリュウゴイチ

岩泉地方史<上巻>  関口喜多路
四、日本粘土鉱業
P862~P863
ここの鉱区権を最初に取得したのは明治三十三年青森県上北郡野辺地の野村源三郎という人である。

岩泉地方史に以上の一文があった。地元の人には日本粘土と呼ばれ、耐火粘土を主に産出していた鉱山も、昭和になってそれが知られる以前は石炭鉱山だった。その明治時代、青森野辺地の野村という人で鉱区権を取得できるようなお金持ちってのは...嘉永三閉伊一揆で一揆勢に資金提供したという立五一(りゅうごいち)ではないかと思い、色々調べたら、やはりその一族だった。

野辺地町史 通説編 第2巻 野辺地町史編さん刊行委員会編
野村銀行
P240~P241
野村銀行は、野村家一族の出資による合資会社で、明治三十三年十月、 資本金十万円で創立。頭取には野村常太郎が就任した。七代目吉次郎は 病弱であったので、彼の長男である常太郎が頭取となり、翌三十三年には 治三郎を襲名する。

無限責任社員 野村 治三郎 七万○○○○円
       野村 常太郎 一万ニ○○○円
       野村 源三郎   七五○○円
[中略]
大阪の野村銀行からの商号変更の要求に応じ、大正十三年「立五一銀行」と改称した。



同書によれば、野辺地港で廻船問屋を営み、莫大な富を築いた野村家も、明治になり野辺地港は青森港にその役割を奪われ、さらに鉄道開通で明治二十年代後半には海運業から撤退していたという。

明治33年の同じ年、代がかわるとともに、野村銀行を創立し、小川(こがわ)村の鉱区権を取得しているあたり、海運業を失った一族の新規事業投資ということだったのだろうか?
(明治29年野村治三郎を筆頭とする上北銀行がすでに設立されており、こちらは合併などを経て現在の青森銀行野辺地支店となっているらしい。)

2008年03月10日

ばっけ

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~ 2008/03/10 11:53 ばっけ@岩泉 ~

昨日、今日あったかくなって13度ぐらいまでになってずいぶん雪が解けたなぁど思う感じです。そっち(横浜)のほうはどんたに暑っいだろうなぁ。
ばっけ探したらば、あったあった。雪の解げだどごさ、ぽこぽこど出でだがら、明日縁樹の天ぷらの材料に持って行こうと思って取ったんです。
(母ヨウコ談)

寒い冬でしたが、ばっけも出てようやく春らしい岩泉です。昔は全然だめでしたが、バッケの天ぷらは酒のつまみによさげ(^^)
(WebMaster@横浜)
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2008年03月12日

新渡戸傳 VS 斎藤三平

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~ 2008/03/10 11:02 ほうれん草@岩泉(写真は本文とは関係ありません) ~

開墾の父 新渡戸傳  堀内 正己 著 文徳社
P76~P77
五月、-  傳は、北郡奥瀬、市川邊に出張して、人夫たちを指揮してゐた。 「融還丸が釜石に着いたさうで・・・」 報告に来た男が、汗を拭いてゐる。 「どうしたのぢや、融還丸は」 傳は、煙草をのみながら尋ねた。 「融還丸が、江戸からの歸り、難船して、釜石港に、やつと着いたさうでござります」 「ウム・・・難船したか」 傳は、十數人の船大工をつれて釜石港に急行した。北上山地には、野鳥がしきりに鳴いてゐた。 船の修繕が、だいたい出来た。 三、四日たつて、傳の宿におとづれた客がある。 「わしは、斎藤三平と申すものでござります」 「わしは、金屋又兵衛と申すものでござります」 初對面のあいさつしてから、話し出した。 「わしらは、宮古、釜石、大槌の近傍で、木材を伐出してゐますが、その移出方をお願ひしたいので ござります。木は、槻、杉、桐、朴等でござります」 「ようがんす。江戸へ移出するやうに取計らひませう」 傳は、あつさり引受けた。 傳は、いろいろ奔走して、十一月に花巻に歸つた。

元史料が不明のため、史実かどうかわからないが、昭和23年発行の著書からの引用である。
新渡戸傳と斎藤三平が接触していたという記述は初めてなのでメモ。

時期的には、斎藤三平が勘定奉行をしていたはずの天保5年の話である。
新渡戸傳、斎藤三平とも時期こそ違えども、勘定奉行となり火の車の南部藩の財政を建て直すべく東奔西走、その後横沢兵庫の奸計によって罷免されるのは共通しているようだ。

2008年03月17日

新渡戸傳 VS 横川良助

三本木開拓史 上巻(新渡戸伝一生記) 積雪地方農村経済調査所 編
P25
十月盛岡迄歸り親類共へも尋ね候處我妻の叔父横川良助といふ有算筆に達し徳實頑意の人なり

上記は天保元年10月の記述からの引用。「内史略」の横川良助であれば、天保元年は57歳なので新渡戸傳38歳の妻の叔父というのも年齢的に妥当か。

以下、思ったこと。
「内史略」の情報ソースは横川良助の親戚の代官横川貢と言われているが、新渡戸傳もそうではなかったろうか?
また、嘉永一揆を陰で指揮した60歳前後の老人がいたとされているが、嘉永6(1853)年新渡戸傳は61歳である!内史略では一揆頭人の1人は斎藤三平というウワサがあると記述しているが、あえて記述しなかっただけで、もしかして新渡戸傳も頭人の1人だったのではなかろうか?郷村割合をかえて増税しようとした石原汀と対立していた傳は、嘉永6年正月、三戸代官を命じられ着任後4、5日で休役を命じられている。一揆がおきたのはその年の5月である...。

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