
~ 2008/09/20 17:56 枝豆@岩泉(写真は本文とは関係ありません) ~
- 解題書目 第7集 青森県立図書館編
- 萬日記抄(一)
- P126-127
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同十七日晴天(註1)
昨夜より今暁に至り板子坂立払、浅水村にて役方の者色々申諭候得共無態に押破り三戸郷境薬師長根迄来候旨追々の注進に付昨日夫々役方の者聖寿寺へ立越置候処追々の注進櫛の歯を挽く如く今未頃御代官柴内律兵衛・下役鴨沢金右衛門・御物書石井友司外御給人共三拾人程召連れ薬師長根へ出馬致候所御百姓共数千人屯ろ致居、此方にては早馬にて馳付丑立場と申所へ陣を取り、役方弐・三人、御同心三人差遣、何等の故に右様数千人寄集り居候哉何か願向有之候はは申出候様何にても取次可申候此炎天に数日被照候儀痛入候何とか執成其方共願向被仰付候様世話致遣可申旨色々申諭候所難有体にて一統へ相談の上可申上旨重立候者共申出相待居候所小間居の者迄相談仕候処難有事に御座候五戸にて十七ケ条願上候所今に一ケ条も御沙汰無御座候依て別紙十七ケ条の通扨又此元様にても被仰上何分早く御沙汰に相成候様被成下度旨願出依て重立候者共三戸町へ旅宿被仰付御沙汰を相待居申度小間居の者共不残本処へ相返申度旨共申出神妙の由
[中略]
残重立候壱名・肝入九拾七人三戸へ召連れ町宿へ留置
[以下略]
註1 嘉永6年7月17日
この日記は三戸代官所で与力を務め上げ、嘉永6年御給人に昇格した石井良助が残したものである。(引用文中の石井友司は倅)
引用の嘉永6年7月17日は、三閉伊一揆の代表45人がまさに仙台で交渉していた時であり、これに呼応するかのように起きた五戸通(現青森県)一揆が五戸から三戸まで押し出してきた時の模様である。
印象深いのは、参加人数が数千人もの規模であり、交渉のために三戸に残った肝入(村長)の数が97人!ということである。
三閉伊一揆で仙台に残った代表が45人ということなので倍以上である。(そんなに残らなくても良いのではないかとも思うのだが...。)
7月17日は晴天であったことから「炎天に数日被照候儀痛入候」という農民への言葉は一揆を懐柔するためというより役人の心情を表しているように感じる。
というのは、この日記の嘉永3年の項に別段大豆買い上げについて
誠に御百姓共迷惑可申候(同書P92)
打続御百姓共迷惑可致事(同書P93)
という筆者の意見が述べられており代官所役人とはいえ農民に同情的だったことが伺えるのである。
また三閉伊一揆でおおわらわとはいえ、五戸代官所の対応もイマイチではある。一揆側は訴願先の代官所がだめなら次の代官所、さらには代表だけ残して後は帰村という流れであり、これまでの訴願パターン?を踏襲しているのである。
まだ一部しか読んではいないが、
正月元旦 晴天 家内合六人男四人女弐人馬三疋 無事越年(同書P80)
という筆者に人間臭さを感じて好きな日記である。
# 新渡戸傳はこの年2月に三戸代官に任命され、5月に到着したはずであるが...。