
~ 2009/08/30 10:20 解体途中の日本粘土工場@岩泉(写真は本文とは関係ありません) ~
- 地質調査所報告 第145号 本邦の耐火粘土について 工業技術庁地質調査所編
- P3
- 太平洋戰爭中,SK34以上の良質耐火粘土を産出した岩手窯業鉱山の良質部も大部分採掘し盡され,最近はSK34以上の粘土の産額が極めて低下している。すなわち残存している粘土層は走向および傾斜方向への品質の変化が著しく,SK32程度のものは比較的簡單に採掘できるが,これ以上のものを揃えるためには嚴密な手選を必要とする状態で,かつ山元より鉄道または港湾への距離が約60kmに達する欠点がある。しかしながら本鉱山は量的にも質的にも本邦屈指の耐火粘土産地と称しうるものであり,特に未開発地帶の探鉱に期待が掛けられる。
「本邦の耐火粘土について」は、当時通商産業技官であった村岡誠氏が昭和26年8月時点の実験・調査結果に基づいて国内産地の耐火粘土についてとりまとめた報告である。(したがって、翌昭和27年に岩手窯業の三谷所長が小松で硬質粘土を発見する以前の情報となる。)
戦時中の昭和18年、岩手炭鉱は国策として日鉄鉱業に経営委託され、翌昭和19年の耐火粘土産出量は前年の倍以上!の大増産となっている。(以下の表参照。)
これにより探鉱済みのSKが高い良質粘土を大部分採掘しつくしてしまったということになるが、会社側はこうなることを予想して、日鉄鉱業への経営委託に強く反対したのであろう。(※1)
また、この大増産した耐火粘土を運び出したのは小本線(岩泉線)であり、昭和19年は和井内から押角まで延長開業した年となる。現在は秘境駅として有名になってしまった押角駅であるが、戦時の「準軍事輸送路」の重要な駅として、国策として押角駅は生まれたのである。
同書 P74 第26表 本邦の主要耐火粘土地区別年産実績(t)より抜粋
| 西暦 | 和暦(昭和) | 実績(t) |
| 1938 | 13 | 不明 |
| 1939 | 14 | 不明 |
| 1940 | 15 | 不明 |
| 1941 | 16 | 不明 |
| 1942 | 17 | 不明 |
| 1943 | 18 | 57,900 |
| 1944 | 19 | 124,140 |
| 1945 | 20 | 75,808 |
| 1946 | 21 | 10,716 |
| 1947 | 22 | 2,533 |
| 1948 | 23 | 16,673 |
| 1949 | 24 | 22,892 |
| 1950 | 25 | 43,348 |
<参考>耐火度
| SK | ℃ |
| 26 | 1,580 |
| 27 | 1,610 |
| 28 | 1,630 |
| 29 | 1,650 |
| 30 | 1,670 |
| 31 | 1,690 |
| 32 | 1,710 |
| 33 | 1,730 |
| 34 | 1,750 |
| 35 | 1,770 |
| 36 | 1,790 |
- ※1
'93 不思議の国いわいずみ ふるさとノート 岩泉民間伝承研究会
鉱山(やま)の灯を消すな - 闘いぬいた八ヶ月 日本粘土鉱業所閉山反対の闘いの記録
(WebMaster@横浜)

コメント (4)
もう1か月も前になりますが、
べごっこフェスタに行く時、主人の仕事の関係で、
前日夜に455号を走りました。
だから、日本粘土あたりを見るどころか、
国道沿いの景色も全然見られない状態で「会場」入りでした。
前日なので、10時過ぎなのに警備員が立っていました!
(ドキッ!)
というわけで、私があの煙突を見たのは、たった1回でした。
しかし、「軍事」となるとすごいですね。
御大堂から上米内に抜ける道路を通ったとき、
とってもひどい道路でしたが、
そこに突然巨大な鉄橋の脚(と言うのか??)が現れ、
ほんとにどっきどきのドライブになったのですが、
こんな所にも鉄道を通すとは、岩泉線もそうですが、
すごい根性というか国策というか政治の力だな~と思ったものです。
Posted by: ET | 2009年10月30日 17:22
日時: : 2009年10月30日 17:22
>こんな所にも鉄道を通すとは、岩泉線もそうですが、すごい根性というか国策というか政治の力だな~と思ったものです。
山田線ですね。原敬の「鉄道法でサルは乗せないことになっている云々」で強引に作らなかったら山田線は無かったか、宮古まで延びるのがずっと後になっていたでしょうね。
岩泉線も、名目入に粘土鉱山があって戦時下で重点的に生産し運び出す必要があったからこそあの険しい山にトンネルを掘って線路を押角まで延ばしたのでしょうし。
まさに国策あっての山田・岩泉線ですね。
あと、戦後になっても海軍が処分したダイナマイトで宇津野まで工事してしまったあたり、当時の混乱ぶりとアバウトさ?を感じてしまいます。
詳細はこちら
http://homepage2.nifty.com/tetsudojokei/dai3shou.htm
Posted by: WebMaster@横浜 | 2009年10月31日 23:03
日時: : 2009年10月31日 23:03
そうそう、うちの父は、原敬の「猿は乗せない…」の話が大好きで、何度耳にしたことか・・・。
山田線は「我田引鉄」では有名なほうなのですね。
それでも、地元にすると、あるとやっぱり便利だし、
その政治家にも味方したくなるというか、何というか、ですね。
新幹線のおかげで、盛岡は東京に随分近く感じるし。
しかし、押角駅付近はすごいみたいですね。
汽車(電車になったんでしたっけ??)に乗ってると、
そんなに気づかなかった気がします。
分割民営になりそうな頃、岩泉線廃止反対の乗車の会みたいなのがあって、覚えている限り、一度だけ乗ったことがありますけれど。
Posted by: ET | 2009年11月04日 22:41
日時: : 2009年11月04日 22:41
>分割民営になりそうな頃、岩泉線廃止反対の乗車の会みたいなのがあって、覚えている限り、一度だけ乗ったことがありますけれど。
何か岩泉線というと「廃止」というのが1セットで地元のニュースに流れるのが常だったのですが、廃止反対の乗車の会ってあったのですね。
おかげさまで、そいう取り組みもあって何とか廃止されず今でも残っているのですねー。
>汽車(電車になったんでしたっけ??)
汽車(ディーゼルカー)のままのようです。
といっても、私が乗っていたころの汽車はもう走ってなくて新しくなっているようです。(キハ52からキハ110に変わったそうですが、まだ乗ったことないです。何がどう違うのか...。)
Posted by: WebMaster@横浜 | 2009年11月05日 23:56
日時: : 2009年11月05日 23:56