
~ 2006/12/30 8:48 白龍(パイロン)@盛岡桜山 ~
WebMaster@横浜は年号が平成にかわった頃に4年間盛岡に住んでいた。
数日おきに夜仕事をして朝帰る生活だったため、朝ごはんに白龍のじゃじゃ麺を食べて帰宅していた。
朝は1Fを掃除中のため、いつも2Fにあがった。せまい階段をのぼってすぐにカウンターがあり、奥の調理場には店主の親父がいた。この親父こそが「じゃじゃ麺」の生みの親だった。後から聞いた話では、戦争で行った中国で食べた麺の味が忘れられず、帰国した後に肉味噌を工夫して再現したのがじゃじゃ麺ということだった。
カウンター席に座って親父の話を脇で聞いていると、調子がよい日は戦争で中国に行って死にかけた話をしていた。なじみの客は「また始まった」という顔だった。
朝いちで開店準備中なので、調理場をのぞくと昨日の残りものの麺が皿をかぶせて置いてあり、それをもう一度茹でたものを出されたりもした。(そんなときは多少値段をサービスしてくれた。)
厳冬の盛岡でニンニクおろしをかけたじゃじゃ麺とチータン(当時はチータンタンとは呼ばなかった気がする...。)は冷えた体を温めてくれた。
WebMasterが盛岡を離れる前の年くらいには親父は体調を崩していたのか、いつも頭を押さえながら麺を茹でていたことが多かった気がする。
「白龍」の親父は故人となったが、その後「白龍のじゃじゃ麺」は「盛岡のじゃじゃ麺」になった。
おあげんせ