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むかしむかし アーカイブ

2006年07月12日

2006/07/12 ワヤワヤ手を動かしたっづもな

先週末たまたま立ち寄った
八重洲ブックセンター本店
で買った「昔話から"昔っこ"へ」からの一節。

「スズメとツバメ」という話の中で父親が死ぬ間際に「ワヤワヤ手を動かしたっづもな。」という描写が妙にリアルに感じられ(^^;

この本に収録されているのは岩手県遠野市近辺の口伝の昔話です。
遠野といえば柳田国男の「遠野物語」が有名ですが、昔読んだ記憶ではこれほどリアルな描写やどきっとするような描写はなかったように思ったのです...。
あるいは、若干方言が異なるにしても実家の岩泉のイントネーションを思いだしつつ読むことができたためかもしれません。

「本当は怖いグリム童話」とか「本当は怖い昔話」とかでいわれていたように、元々昔話や童話というのは言うことを聞かない子や孫を戒めるため怖い話であったり、大人の世界でおきた生々しい話であったらしいです。

その意味では「遠野物語」は童話で、この本に収録されている話が本来の姿の昔話なのかなと納得したりしてます。

2006年07月17日

2006/07/16 マーンジュシャーカ

2006/07/12 ワヤワヤ手を動かしたっづもなの続き。

「パソコン新世紀 - 32ビット・パソコンの時代/脇英世 著/講談社文庫」を盛岡にいた当時読んだことが今のプログラマ稼業を始めたきっかけでした。

17年前はパソコンのことなどまるで知識ゼロ、8割方は意味不明という技術系の本だったのですが、そんな私が読んでも非常にユニークな視点で技術を解説していて印象深いものでした。

当時はパソコン=NEC PC-9801という図式が出来上がっていたのですが、PC-9801のMS-DOSではIBM PCのMS-DOS用のソフトはそのままでは動作しないという状況が続いていました。それは原典であるIBM PCのMS-DOSをPC-9801のMS-DOSに「翻訳」してしまったためにおきていると解説していました。

「翻訳の鵜呑みは危険」という節がそうなのですが、ここで引き合いに出しているのが「お経」!!なんです。ざっくり要約すると次のような話でした。

・日本のお経はサンスクリットの経典を中国で漢訳したものが伝わっている。
・サンスクリットで「マーンジュシャーカ」と呼ぶ花の名前を漢訳では「曼珠沙華」と音訳した。
・仮にお経をサンスクリットから日本語にダイレクトに訳すのであれば、「曼珠沙華」ではなくて「マーンジュシャーカ」というほうが正確である。他にも漢訳では原典を正確に反映していないこともあるし、省略もあるが、漢訳そのものは韻などが練られていて完成形である。
・お経に並ぶ漢字すべてに意味があるのではなくて、カタカナで音訳したほうがずっと原典のイメージが伝わる。
(※ googleで検索すると「マンジュサカ」という表記が一般に使われているようです。)

ここでようやく2006/07/12 ワヤワヤ手を動かしたっづもなの続きになりますが、やっぱり方言がある程度わからないと、その面白味が半減するかなというのが率直な感想。

例えば「酒飲みと碾き臼」に酒飲んで帰ってきたトト(夫)は嬶(かかあ)に「うんとくやくやっていわれ」る訳ですが、翻訳すれば「強く説教される」ってとこでしょうか。でもこのニュアンスというか雰囲気までは伝わらないんですね。うちの母はいつも「くやくや」言ってたんで、私の場合はすぐにイメージが浮かんだりするわけなんですが(^^;;

2006年09月19日

2006/09/18 歴史と岩手公園

岩手公園に愛称ができたらしい。いまさら変えなくても、など議論があったようであるが、読んでた本にたまたま関連する話が出ていたのでピックアップしてみた。(出典:岩手の宰相”秘話”)

・南部家の子孫である南部利恭(としゆき)は日露戦争で戦死した。
・日露戦争が終わり、南部利恭の銅像を盛岡城址に建立する話がもちあがり、東条英教(東条英機の父親)が銅像建立委員長となり原敬も計画に名を連ねた。
・学習院初等科で南部利恭(としゆき)とご学友であった大正天皇(当時皇太子)はこの計画に300円を下賜した。
・明治41年9月銅像は建立されたが、その後太平洋戦争中の昭和19年4月に金属回収で供出したため台座だけが残った。

んー、ただの石垣と侮るなかれ。岩手公園に歴史アリ。( ̄-  ̄ )

# 9/20 誤字訂正 「戦士した。」->「戦死した。」

2007年09月24日

むかしのむかし

070814_takasuka_m.jpg
~ 8/14 高須賀バス停@岩手・安家(写真は本文とは関係ありません。) ~

WEDGE(ウェッジ) Vol.19 No.10
Q&A 日本人の身長って伸び続けてるんですよね?
日本人(成年男子)の平均身長は、縄文時代に150センチメートル台後半だったのが、弥生時代を通じて大型化が進み、古墳~奈良時代は160センチメートルを超えていたとみられている。その後、鎌倉~室町~江戸と時代を経るにつれだんだん低くなり、江戸時代後期から明治時代始めには155センチメートル程度まで落ち込んだと推定されている。明治時代以降は、特に戦後、急速に体位が向上し、現在では17歳男子の平均身長は171センチメートル近い。

江戸時代前期、1世紀で2倍の人口爆発があったものの、新田開発は追いつかず、体が小さくなる程度の栄養状態にまで追い込まれた結果ということらしい。

テレビの時代劇の時代考証ではないが、現代人が過去の人を演じるのってなにかウソっぽい感じがしたものだが、身長についていえばまんざらウソということではないのか...。

昔の昔、は以外と今に通じるのかも。

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